徒然もの書きぱん

適当にアニメとかについて書いてます。今期は何について書きましょうか。

響け!ユーフォニアム8話までの評価のギャップについて考察する

はじめに

 こんにちは。

 ユーフォの8話についての記事を書いたのですが、よくまとまっているという評価とともに8話だけが面白いわけじゃないという声もいただきました。www.palepalette-blog.com
で、この記事に僕はちょっといらないことを書いてました。

部活ものとしても中途半端だし、人間模様を描くにしても浅い。そんな印象だったので評価はとても低かったです。

これがちょっとよろしくなかった。でも嘘を書いたとは思っていません。それでも説明が足りなかったのは事実。
 というわけでなぜこのように意見が割れたのかを考えてみることにしました。この記事を見て、このアニメの楽しみ方が複数あるということを知ってもらうとともに、自分の考えを少しでも理解してもらえればと思います。

追記(2015/06/08)

 映像による伏線の細かさについて追記しました。

僕がこのアニメに求めていたもの

 まず、僕がこのアニメに求めていたものについて少し考えたいと思います。たしかに他の部活動にはない滝先生の大人としての対応であったり、部活動を中心としたそれぞれの考え方は他のアニメとは異なった非凡な部分であるように感じました。実際そのように感じている人は多く、滝先生の行動について記事を書いている人も多いと思います。それを踏まえた上で、このアニメの魅力がよくわからなかったんですよね。たしかに今までに無いアニメの取組みかも知れないですが、それが劇中でうまく生かされたという印象が薄いんですよね。先生の態度も、部活をやめた葵も、部長としての葛藤があった晴香も。あまり大きく見せないのが演出なのか、それとも演出不足なのか。その辺りはわかりませんが、僕には演出不足のように映りました。だからこそ、おもしろそうな雰囲気がもったいなく、中途半端と感じたのだと思います。
 それに対して8話は演出が良かった。でもそれだけじゃないように感じます。たぶんそれはキャラクターの可愛さが生きていたからです。僕がこのアニメに求めていたのはキャラクター同士の掛け合いであり、キャラクターのいきいきした表情だと思いました。そういう意見が多数あったからこそ、心理的な流れを書いた記事が伸びたのだと思います。だからといってこの感想・考察が正しかったかはわからないし、もしかするとまちがってるかもしれません。

楽しみ方

散りばめられた伏線からキャラクターの心情を楽しむ

 1話で先生が北中の演奏を聞いていたこと、2話での先生の全国大会への誘導、3話の久美子の散らばる譜面や先生の高圧的な姿勢。各話で様々な伏線が散りばめられています。それを理解することがこの作品のキャラクターが置かれている状況を理解することであり、キャラクターを理解することにつながると思う。特に久美子という女の子がどういう女の子なのか。これがこのアニメの重要なポイントの一つである。8話では久美子がどういう女の子なのかが具体的になり、今まで意識し続けた高坂麗奈との距離感が縮まった回である。同様に高坂麗奈のキャラクターもはっきりと明示された回でもあった。しっかりとした考察を行っていれば8話ではまた別の考えが生まれるのではないかと思う。
 新世界よりを演奏していた麗奈を一発で当てる久美子。これは久美子の麗奈への執着というか意識が向いている事を表している。4話では麗奈に謝っている久美子の成長が感じられた。中川に声をかけるシーンも今までの久美子には見られなかった描写だ。また麗奈は久美子をしきりに意識しており、ふたりの関係を匂わせ続けた。このような成長と描写を踏まえた上で見る8話はきっと、いままで焦らされていた人たちにとっては花開く回であったことは間違いない真剣に見ていなかった僕ですら感じたのだから

リアルな部活事情

 もうひとつ重要な事はリアルさを追求している点である。集団で行う部活である吹奏楽であるからこそ問題になる目標の不一致。全国大会を目標にしたことをきっかけに、自分で退部を選択する部員。優秀なサブリーダーのリーダーシップを気にする、自信のないリーダー。これからの出来事は実際の部活にはつきものであるように感じた。
 このような現実にありうる事態を丁寧に描いていることに共感がもて、評価が高くなるのではないかと感じた

追記:映像による伏線の細かさ

 この作品の真骨頂は映像だ。映像美はもちろん、映像内に仕掛けられた心情を思わせる伏線が多い。この作品を評価する上で、これは欠かせないと思われる。しかし、この映像による伏線が綿密に張り巡らされていて、それに気づけないと印象の薄い作品になってしまう。僕が最近気づいたのはここだ。この作品を評価している人たちはその点にとてもよく注目し、この作品を楽しんでいる。対して僕はこの作品を漠然としか見ておらずその点に気づけなかった。だから面白いかどうかが大きく別れたのだと思う。
 直接的な表現と間接的な表現が入り混じったからこそ、この作品が好評価を得ている理由である。逆に間接的な表現が読み取れないと評価が下がる作品であるように感じた。

要するに自分が求めていたものとのギャップは何か

 僕はこのアニメに、現実ではない非現実らしさの中にある日常を求めていたのだと思った。キャラクターたちがいきいきするだけの舞台が整えばいいと。だからこそ8話がより光って面白く見え、他の話が現実らしさを全面に出していてつまらないという印象になったのだと思う。あとは単純に作中に隠された描写を読み解く力がなかったのかもしれない。
 それに対して他の人達が求めていたものは、非現実ではない現実らしさだったのではないかと思う。キャラクターがいきいきするだけでなくキャラクターたちの葛藤が見え隠れする状況で、実際にこの子たちはどう考えているのだろうか、というものを想像することを求めていたのではないかと思う。それがつながる瞬間がこのアニメの面白さだったのではないか。

まとめ

 自分なりに今回の論点についてまとめてみました。俺ガイルみたいなセリフ考察はゴリゴリできるのですが、映画みたいな映像の心理描写の読み取りが単純に苦手だったのかもしれませんね。
 この作品がとてもいい作品であると褒めている人はどちらかと言うと後者のパターンが多い気がします。前者の人はあくまでも8話が面白いという印象。見ているポイントが大きく異なっているため評価が食い違うのは仕方ありませんが、互いがどこを評価しているかはわかるように書くべきであると今回の件で反省しました。
 このユーフォニアムという作品は難しいと思いました。退屈という人の気持ちもわかるし、おもしろいという人の気持ちもわかります。作品なんて好き嫌いがあるのは当然なので、どっちがいい悪いというものは無いと思います。色々書いていて、互いに自分の楽しみ方をすればいいと思いました。

 以上です。それではまた別の記事出会いましょう。