徒然もの書きぱん

適当にアニメとかについて書いてます。今期は何について書きましょうか。

映画『天気の子』―――少女の変化、祈るという行為

 こんにちは。映画『天気の子』が非常によかったので感想を書こうと思います。 1 週間で 3 回見に行くほど気に入りました。感想とかを書き連ねていきます。

振り返り―――陽菜という人間の変化

 僕が映画を見たときに感じた陽菜の心境と能力の遷移を下の図で表現した。ただ母の入院時にも晴れてほしいという願いは持っているため正確な図ではないが、ラストに比べると願いの大きさは違うと考え下記のような表現とした。

 陽菜は天気を操れる能力を得たにもかかわらず、穂高と出会うまで能力をあまり使用していなかった。明確に表現されてはいないが、中学生たちがビルの隙間で見つけた龍状の水や雨の魚が観測されたのは能力を使用した副作用だと思われ、帆高に能力を見せるまで観測されていなかったことを考えるとほとんど使用されていなかったと思われる。さらに未成年ながら水商売を始めようとするほど、天気を変える能力は彼女にとっては役に立つ能力ではなかった。つまり彼女にとって天気を変える能力は、特別な力ではあるものの自分を形成するものではなかった。
 帆高と出会うことでその考え方は変わり、天気を変える力は彼女に役割を与え、自分を形成するものとなっていった。「世間から求められること」と「自分がやりたいこと」が「自分ができること=天気を変えること」により満たされてしまった。つまり彼女にとって自分の価値が「天気を変えられること」になってしまった。

 天気を変えることができることの価値を知ってしまった彼女は、日本の異常気象を自分の責任であり自分の役割として捉えるようになった。だから帆高に雨がやんでほしいかと尋ね、それに「うん」と答えてしまった帆高を残して消えることになったのだろう。しかし指からすり抜ける指輪を見て悲痛な声を上げる彼女を見る限り、彼女が自分の意志で人柱になったようには思えない。その一方で、帆高が迎えに来たタイミングでは世界の天候を心配しており、彼女に与えられた役割を捨てきることができなかった。だが帆高の「陽菜のために祈ってほしい」という言葉を受け、自分を優先して天気の巫女という役割を捨てることができた。
  

考察―――陽菜にとっての祈るという行為

 世間は誰もふたりのせいで東京が沈んだと考えてはいない。それはおばあちゃんの言葉からも、須賀さんの言葉からもわかる。それほどこの現象は人の力でどうにかできるレベルを超えている。そして彼女は坂の上で祈っていた。
 陽菜にとって祈るとは、晴れにする行為であり結果であった。しかし天気の巫女でなくなった彼女は、祈るという行為が結果につながることはない。それでも彼女が祈り続けるのは、自分が天気の巫女だったからである。天気の巫女としての役割は終えたとしても、天気の巫女として世界と向き合っているのだと思う。
 そしてその祈りとは、具体的に何かを願っているわけではないのだと思う。雨がやんでほしいとか東京がもとに戻って欲しいとか、そういうものではない。ただ自分と引き換えになった現実を見つめているのだと思う。
 つまり序盤で示した図は実際には以下のようになる。彼女は天候を操ろうとしているのではない。

 彼女の生きる選択と祈ることは矛盾しない。自分に求められていた役割を放棄したとしても、それでも漠然とその犠牲に祈りを捧げるだろう。そして彼女は自分の命と世界を変えてしまった重さの板挟みに苦しみながら生きていくのだろう。それでも生きていくことに幸せを感じるだろうし、あのときの選択を後悔することはないだろう。そうあってほしい。

備考―――巫女に連動する空模様、雪景色

 陽菜の心境に連動するように、夏にもかかわらず雪が降り始めた。晴れを避けるという思考が、気温の低下を生み雪を降らせた。つまり空模様を変えるだけではなく、天候にまつわるあらゆる事象を操作することができるのであろう。本編では晴れにする行為の他に雷を落とすこともできていた。

考察―――天候を操る力の行方

 陽菜は廃ビルの屋上の鳥居をくぐることで天気の巫女となった。ただ母親が使用していたブレスレットをチョーカーとして使用し、そのチョーカーに力が宿っているようにも見えた。そのため帆高に連れ戻された際に、チョーカーが壊れたような描写で描かれている。しかし陽菜が鳥居をくぐった際にブレスレットは持っていないため、陽菜自身にその力が宿ったと考える方が筋が通っている。
 そして帆高も同様に鳥居をくぐった。巫女という特性上女性しかなれない可能性もあるが、あくまでも歴史上の話であり性別に関連性はないと推測される。現に帆高は雲の上の世界を見ており、それこそが人柱として選ばれたことを示しているのだと思う。つまり帆高には天候を操る力が宿っていると推測される。

降り止まぬ雨、沈む東京

 雨が降り止まないのは、帆高が人柱になる条件を満たしていない、つまり能力を使っていないせいである。それは帆高が雨を止ませようとしていない結果であり、東京が沈んだのはなるべくしてなった結果ともいえる。そして重要なのは帆高がこの結果を受け入れている事実である。祈りによる天候の変化が意識的であるのならば、帆高は心の底から晴れることを望んでいない。もしくは諦めているのかもしれない。
 いつか自分の力に気付いた時、帆高は力を使わずにいれるのだろうか。きっと使うことはないと思うし、気づくこともないのだろう。天候を操る重さを知っている彼が、天候について何かを願うことはきっとないだろうから。
 もしくは廃ビルが水没したのち、あの鳥居を源泉とする力は失われているのかもしれない。そうなるともうどうすることもできない。

感想

 この作品のすごく好きなところは、人間が誰かと出会い変わっていき、その変化は本人が想像していなかったこともできてしまうことにあります。

須賀さんの行動の変容から

 須賀さんは「大人になると大事なものの順序を入れ替えられなくなる」と言っていたように、須賀さんにとっては娘と一緒に生活することの優先度が一番高かったはずです。にもかかわらず帆高の彼岸への渡りを助けようとしてしまう。それは彼の中で順序が入れ替わった瞬間であり変化の瞬間です。しかしながら彼の中で娘は相変わらずいちばん大事な存在だと思います。いちばん大事なものが複数競合したとき、その大事なものを失わない行動しかできなくなるのだと思います。例えばあの瞬間では帆高への手助けが大事だったとして、帆高への助力が行われたあとはきっと大事の優先度が下がっているはずです。行動することでその順序は下になっていく。だからあの瞬間から、須賀さんの中では帆高に対する優先度はすごく低いものになったのだと思います。しかしそれは優先度が下がっただけで大事であるということには変わりないし、きっと同じような危機に直面すると優先度は大きく上がるはずです。生きていくと大事だと思うものが増えていき、優先度をつけるためのパラメータが増えすぎて選べなくなっていくのだと思います。大事なものが増えることは素晴らしいことだけれど、何かの選択に迫られたときに大事なものを失わないようにしたいと思いました。
 

選択の代償から

 陽菜が人柱ではなく人として生きることを選択したことで、天候は雨になり東京は海の中に沈みました。世界が雨に包まれることを陽菜と帆高が選び、そしてその選択の結果を受け入れていました。自分がしてしまった行動の結果を直視するというのは非常にストレスの掛かることですが、それを彼女たちは真っ向から受け止めています。そんな二人だからこそこれからも大丈夫だと思えるのでしょう。受け入れるということの難しさとその姿勢に心打たれました。
 そして選択の代償を描いた本作があってこそだと思います。これでもし天候が晴れになってふたりとも無事だったら、彼女たちの選択やそれに向かっていく意思を踏みにじることになります。そうならないように本作を作り上げていったのが本作の魅力だと思います

最後に

 うまく書けていないこともありますが、本作が本当に好きなので何度も見に行って楽しみたいと思います。素晴らしい作品を作っていただきありがとうございました。

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おまけ

本作の好きなところ

 たくさんあるのでざっと並べていきます。たぶん時系列になってるはず。

  • 「天気の子」という文字が表示されて風に流されて消えていく映像。
  • 新宿が汚い、本当に新宿は汚い。
  • 帆高が須賀さんのところに引き取られて一生懸命自分の居場所を作るために働くところの映像と音楽とナレーション。時間の経過を短時間でかつテンポよく見せるのにあっている。
  • 最初の凪がチャラい印象なのに対し、てるてる坊主のきぐるみを着るなど小学生らしさが出ているところ。お姉ちゃんが大好きなのが振る舞いから伝わってくる。
  • 陽菜が天気を変えて曇から晴れになっていく際の街が服を着飾るようなという表現。
  • 花火をまわりこみで撮影するところ。
  • 君の名はメンバーがたくさん出てくる、観覧車、民家、デパート。
  • 本田翼の演技が癖があるようでなくてよかった。
  • グランドエスケープが流れる場面のすべて。ここを見るために何度も通っている気がする。
  • 東京が沈むところ、救いがない。救いがないからこそ、選択に意味が出てくる。選択とはその瞬間のものではなく、その後にもずっと関わってくるもの。
  • 田端という地理が活かされているところ。北口に比べてなにもない南口が選ばれた意味が出ている。
  • 最後のシーンで祈っているところ、ここがあったからこの作品は最高になった。祈りとは誰かに願いを向けるものではなく、内なる自分に向かっていくもの。

本作の好きじゃないところ

  • PVがミスリーディングすぎる、作品の雰囲気にあっていない。
  • 銃というものが作品の中で活かされない、日本という国で銃は特別なもの。作品に活かされていないわけではないが、作品の空気を悪い方向に変えすぎてしまったように思う。