アイカツ同人誌紹介No.1『私は普通の女の子』
作品概要
タイトル | 私は普通の女の子 |
著者 | わくぽ |
わくぽ (@wkmeeeeen) | Twitter | |
頒布 | 芸カ18(2019-02-24) |
サンプル | 【芸能人はカードが命!18】「【芸カ18】瀬名あか新刊」/「わくぽ」のマンガ [pixiv] |
ページ数 | 54 |
通販 | 私は普通の女の子(poppomen)の通販・購入はメロンブックス | メロンブックス |
本作紹介(ネタバレなし)
本作はアイドルとしての卒業を迎えたばかりの大空あかりと瀬名翼に焦点を当てています。アイドルではなくなった大空あかりとデザイナーとして活動を続けていく瀬名翼。これまでとは違う関係性になった瞬間のふたりが向き合い、そして半歩踏み出したような。そんな作品でした。
これまでを振りかえりながら、未来を見据えたふたり。次のステージへと進んでいくふたりの姿を見ることができます。
感想(ネタバレあり)
本作はどこを切り取っても最高の一言に尽きるのですが、個人的に最も印象に残ったのは最後のページでした。これほど読書後の印象に残る演出もないと思えるぐらいの素晴らしい演出でした。白黒で描かれるマンガが、一瞬で彩られていく。そんな不思議な感覚に胸がいっぱいになりました。きっと、ずっと忘れることがないと思います。
また瀬名とあかりの関係性の描き方が絶妙でした。瀬名あかはデザイナーとアイドルの絶妙な関係を描きつつも、未来のふたりについて言及していく作品が多いと感じています。本作も同様にその先をきれいに描ききっており素晴らしかったです。特にあかりと瀬名のはじめての出会いを彷彿とさせるようなシーンに、現在のふたりの関係を重ねている部分がとても好きでした。時間を経たふたりの関係性が際立っており、大人になったふたりの信頼がひとつひとつのコマから伝わってきました。
「バトンは繋がってる」
この言葉は、再録本で書き下ろされていたシーンを思い浮かべました。本編で大空あかりが渡すことのできなかったバトンの話を、このような形で描いていただけてありがたかったです。成長した大空あかりと瀬名翼の関係を見ることができて本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
1日1冊アイカツ同人誌を紹介する企画
こんにちは。
アイカツオンリーイベント『芸能人はカードが命』に参加するようになって2年半が過ぎました。一般参加して自分で大量の本を買ったり、サークル参加して自分で書いた本を頒布したりしてきました。たくさんの本と出会ってきたことで、作品が大きく無限に広がっていくのを感じています。本編で回収されなかった話を、続きが描かれなかった話を、作者の方たちが愛情をもって形にしてくれています。その本を作ってくれたことへの感謝とそれらの本を知ることがなかった人たちに届くメッセージになればと思い、この企画を始めてみようと思いました。
紹介の形式はこのブログに記事として掲載し、ネタバレ無しの紹介文とネタバレ有りの感想について記述する予定です。文量は決めていませんが、多かったり少なかったりすると思います。頻度は1日1冊を予定しています。紹介したい本はおそらく100冊はあると思うので、3ヶ月ぐらいは続けていく予定です。形式などについては少しずつ調整していきます。
あくまでも私が感じた本の解釈でありメッセージですので、作者の方が想定していたものと離れている場合があると思います。その点はご了承いただきたく思います。
最後に
私がアイカツを見始めてから約3年が経ちましたが、その間にアイカツを見始めた人たちがたくさんいます。その人たちにとって、アイカツの新しい一面に出会えることを祈っております。そして素晴らしい本を書いてくださった作者の方々に、感謝の思いを届けられることを切に願っております。
これまで続いてきたアイカツに、これからも続いていくアイカツに感謝を込めて。
最近見ていた過去のアニメ・ドラマ・映画の感想
こんにちは。
最近は、リアルタイムで放送されているアニメをほとんど見ずに放送済みのアニメや映画やドラマばかりを見ています。リアルタイムで放送されているアニメよりも、すでに放送が終わっているアニメを視聴するほうが自分の性格にあっているようでリアルタイムで視聴するよりも楽しめている気がします。
一度感想を吐き出しておきたいと思ったので、自分が過去半年ぐらいで見たものをまとめます。リアルタイムで視聴しているアニメは除かれています。どのサービスで見たのかも書いておくので、見たい人は参考にしてください。
アニメ
僕のヒーローアカデミア(dアニメストア)
見ようと思ったきっかけは、3rdシーズンのバトルの演出がすごいというツイートを見たことでした。そのシーンにたどり着くまで相当な話数がありましたが、非常に楽しんでみることができました。
能力モノではるものの、主人公が頭脳プレイを主としていることもあり能力インフレが起こりにくい設計になっているように思いました。能力自体には強いも弱いもない。どれだけ自分向きのシチュエーションを作れるかが鍵になっているので、どの能力も見せ場あるというのが大きかったです。あと林ゆうきさんの音楽は熱い展開に合うので最高でした。どうでもいいですがジャンプマンガというのは非常に驚きました。なんとなくマガジンっぽいと思いアニメを見ていたので。
鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST(dアニメストア)
見ようというか見直そうと思ったきっかけは、ラストがどうなったのかが全く思い出せなかったからです。扉の向こう側で「正解だ」と真理が言うことだけは覚えていたのですが、そうなる経緯が全く思い出せなかったので視聴し直しました。
前作の鋼の錬金術師が放送されたときは、小学生だったこともあり雰囲気で楽しんでいました。ただ今回見直してみるとだいぶ印象の違った作品になっており、年齢を重ねることで見えてくるものが変わることを再認識しました。エドやアルが抱えているものというよりも、ホーエンハイムやマスタングといった大人の目線で話を見ることが多かったです。「全は一、一は全」という言葉や等価交換という原理原則の裏側にあるものなど、考えることをやめてはいけないんだと思わせてくれる一作でした。
終物語(dアニメストア)
ようやく配信されたので見ました。忍野扇が何者かを知ることなくいつの間にか見なくなっていたので、ちゃんと最後まで見たいと思ってました。
最後まで見れてよかったとは思うのですが正直あまり覚えていません。老倉育のように過去に囚われすぎない生き方をしたいです。
交響詩篇エウレカセブン(dアニメストア)
見ようと思ったきっかけは、ANEMONEが素晴らしい出来という話を聞いたので予習のためでした。たしか小学校の頃に放送していたのですが、日曜の朝6時半からの放送で見ることができませんでした。
見終わってみると作品自体はよいと思ったのですが、序盤の構成が結構辛かったです。僕は大人が抱えているものをこどもに押し付けるのがどうも苦手なので、ホランドを含めたゲッコーステイトの面々の振る舞いは見ていて気分が悪かったです。エウレカセブンは大人の成長が一つの作品軸なのでしょうがないですかね。結局ANEMONEは見ていません。
TIGER&BUNNY(Netflix)
Netflixを巡回していて偶然見つけました。Blu-rayの売上枚数がずば抜けいていた記憶があったので、一度見てみようと思いました。
ヒーローによる救済が常態化した世界を定常化させるための暗黒面という感じでした。古き良きヒーローと新しくクールなヒーローという二人のヒーローの歯車が少しずつ噛み合っていく感じも好きでした。それぞれのヒーローの人間性に踏み込んだ良い作品でした。
A.I.C.O(Netflix)
見ようと思ったきっかけは、Netflixオリジナルアニメについて興味があったからです。これが視聴した初のオリジナル作品でした。
内容がめちゃくちゃ難しくて、この人達は何のために目的地に向かっているんだっけとなっていました。世界観とキャラクターと現状とゴールがすべて複雑だったので、どれかを削ぎ落としても良かったんじゃないかと思います。面白かったのは面白かったんですが最終的に雰囲気で楽しんでしまったのでもったいなかったかな。コンテンツを消費するだけの見方になってしまいました。
B: The Beginning(Netflix)
A.I.C.Oと同じでNetflixアニメに興味があったので見ました。
こちらも難しかった。強化人間のようなひとたちがどれぐらいすごいのかがわからず、シリアスなんだけど他人事のように感じられて入り込めませんでした。刑事モノでもあるのでその点に関してはよくできていたと思います。キャラクターに魂があるように感じられたのでそこはすごく良かったです。1クールだと短いけど、1クールじゃないと間延びしてしまう感じがしたのでこれでよかったのだと思います。
ワールドトリガー(dアニメストア)
以前からマンガが面白いと聞いていたのと新巻が発売になるという話で作品のことを思い出したので見ようと思いました。
放送された時間帯がきっと子供向けの時間だったのだと思うのですが、展開が遅く復習が多かったのでテンポは悪かったです。ただ内容はめちゃくちゃ面白く、かなり練られた世界とキャラクターたちでした。オリジナル展開も結構楽しめましたが、めちゃくちゃいいところでアニメが終わってしまうのはかなり残念でした。結果的にマンガを大人買いしました。読むたびに新しい面白さが発見できるので良かったです。
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない(dアニメストア)
ラノベの1巻だけは読んでいてあまり合わなかったのですが、アニメをやるということで放送終了するのに合わせて見ました。
非常に面白かったです。現象自体は全くロジカルではないのに、解決策がロジカルというか納得してもいいと思える隙がありました。何が起こっているのかを理解できなくても、そうなってるんだと腑に落ちる展開が好きでしたし、主人公の肝が据わっているというか自分が行動することで自分の認知を変えようと振る舞う姿勢も好きでした。かなりお気に入りの作品でした。
ハイスコアガール(Netflix)
これもNetflixを巡回してて見つけました。ずっとタイトルが気になっていた作品ではありましたが、きっかけがなかったので放置していました。
僕はアーケードゲームに殆ど触れずに生きてきたのですが、当時のアーケードゲームの熱量とそのゲームの魅力を感じました。だからこそキャラクターが熱心にゲームについて語る姿が魅力的でした。構成が3部制になっていて、それぞれの尺もちょうどよかったです。3部の良いところで終わってしまうのですが、それまでの展開と終わり際の引きもよく続きが見たくなりました。続きの配信がとても楽しみです。
やがて君になる(dアニメストア)
原作を途中まで買っていたのですが、いつのまにか買わなくなっていたところでのアニメ化だったので見ました。
いまいちキャラクターをつかみきれなかったので消化不良でした。なにを大事にしていてどう振る舞っているかが自分の中で繋がっていないためだと思います。続きが放映されるならちゃんと見直そうかな。
凪のあすから(dアニメストア)
この作品は以前リアルタイムで視聴していたのですが、どうも最後が好きになれませんでした。その理由までは覚えていないのですが、今見たら好きになれるかもしれないという衝動から見直しました。
見直してみたところ非常に良い作品だなと思いました。1クール目はやはり苦手な展開ですが、2クール目の展開は非常に刺さりました。以前は誰かに主観を合わせてみていましたが、今回は俯瞰で見れたのが大きかったのかもしれません。この作品は、キャラクターの内面を裸にしてくる部分が強いため、考え込んで見すぎてしまう場面が多かったです。そして以前は最後の展開が中途半端だと感じていましたが、あの終わり方がすごく公平だと思えて好きになりました。あの最終話で始めて時が動き出したんだなと思えたのが大きかったです。あとエンディングのイントロが非常に強力で、あの曲が流れ始めるだけで作品がかなり締まります。あの緊張感を最後まで維持できた一つの要因だと思いました。見直してよかったです。
PSYCHO-PASS編集版(dアニメストア)
もう何度も見返しているのですが、ノイタミナで1時間放送されていたものは一度しか見ていなかったので見てみようと思いました。映画のために復習もしたかったので。
追加されたシーンの品質自体は高くはないものの、作品の全体の質を高めるものにはなっているというのが再確認できました。編集版の追加シーンに関してはそれぐらいです。あってもなくてもいいけど、あった方が好きです。
映画
インターステラー(Prime Video)
おもしろいSFと聞いていましたのでいつか見たいと思い視聴しました。
難しすぎて雰囲気でしか楽しめませんでしたが、高次元にアクセスできるようになったことでいろいろと解決できたということだけわかりました。個人的にはロボットの形が非常に面白かったです。2足歩行のような高度な重心制御ではなく、3点によるバランス制御は非常にいいアイディアだと思いましたし、回転に対応した構造にすることで高速移動も可能にできる。水上と雪山での移動ではかなりテンションが上がりました。
3月のライオン(Prime Video)
アニメは見ていたのでどんな感じだろうと思って見てみました。神木隆之介が見たかったのもあります。
主人公の雰囲気は少し異なりますが、実写にあったアレンジがされていると思いました。家族というテーマにも向き合いながら、主人公の成長物語として丁寧に描けていたと思います。アニメよりも好きな雰囲気でした。ただ後編はいじめや父親の展開がどうも合わなかったので好きになれませんでしたが、それ以降の名人との対局の流れまではすごく好きでした。ちゃんと人間の世界だと思えました。
バクマン(Prime Video)
同じく神木隆之介が見たかったのもありますが、アニメを見ていたので見てみようと思いました。
マンガと雰囲気はだいぶ違いますが、実写として良い転換ができていると思いました。尺の都合もあり俺たちの戦いはこれからだとなってしまいましたが、よくまとまっていたとは思います。途中でなにをするために彼らがなにをしているのかわからなくなるのですが、キャラクター達も同じなのだと思えるので気になりませんでした。
モテキ(Prime Video)
ずっと見なければならないと思っていた作品でした。ドラマ版とまとめて感想をまとめます。
ドラマ
セックス・エデュケーション(Netflix)
周回していたら見つけたので見てみました。
まだ途中の作品のようですが、非常に興味深い内容でした。性を真正面から受け止めている作品で、コンプレックスも男女関係もLGBTも友情もリベンジポルノ的な要素も全部入ってます。思春期の子供が見るのが良いかは判断できませんが、大人になる前に見ておけるのがベストだと思いました。性の教育コンテンツとしても十分だと思います。セックスシーンもあるしたまに局部も無修正で映るので、そこだけは注意して視聴してください。
モテキ(Prime Video)
周回していたら見つけました。一度も見たことがなかったのですが、名前だけはちょくちょく聞いていたので視聴しました。
セックスに対するコンプレックスや執着によって人間が崩壊していく話だと捉えました。主人公の男性が最速でセックスをするためにチャンスがありそうだとすぐになびいてしまい、結局誰も愛せず誰からも愛されない。そしてセックスにのめり込んで生活が壊れていく周囲の人間。その対比が重たかったです。主人公に異性として関わった人達は自分らしさを見つけて幸せになれたので、変な気を張らない自分らしさが幸せなんだなと思いました。この作品のセックスは刃物のようだった。
映画版では、セックスよりも恋愛に比重が置かれていた。もちろんセックスをイメージさせる作り方はされていたが、そこを崩すように恋愛が配置されていたように思う。長澤まさみの役は自分の気づいているけど気づかないふりをして、麻生久美子の役は気持ちを正直に伝えてセックスして振られる。キャラクターの心情は読めても、どうもモヤモヤする展開でした。ドラマと比べるとロジカルに作られすぎていた気がする。ただドラマよりも好きでした。
フリンジマン(Prime Video)
全く内容も聞いたことがないけど見始めました。愛人を作るために行動する男達の物語でした。
くだらない内容ではあるものの、結構ためになりそうな知識が多くて楽しみました。愛人を作るという目的は最悪ですが、その過程で生まれる感情は人間的でした。不思議な面白さがある作品でした。人には勧めません。
グッド・バイ(Prime Video)
夏帆が出ているとのことで興味本位で視聴しました。
脚本がよく練られていて面白く見れますし、伏線の回収も非常に丁寧でした。ただ主人公の男がどうも好きになれず、そこだけはしんどかったです。そのしんどさを抱えたまま視聴していくのですが、いつのまにかその男を許せる気になってくる。なんかうまく乗せられているようでムカつきましたが、最後までとても楽しめました。自業自得というか不器用というか、そんな気持ち悪い男でした。
文学処女(Prime Video)
これはなんとなくタイトルで見始めました。処女の編集者がイケメン作家の担当になる話です。
まあ普通でした。イケメン作家役の城田優がかっこよかったです。内容は悪くはないのですが、世界が隙だらけに見えました。重要な連載の話も次作の話も大事にされていないし、キャラクターが生活している感じが全くなかったのは違和感でした。描く世界を限定できるマンガ向けな気がします。
孤独のグルメ(Prime Video)
何となく見始めました。
特に語ることもないのですが、美味しそうなものがたくさん出てきて楽しいです。1人で何かを食べることで、その食と向き合えているのだと思いました。私事ですが、一人焼肉に行って食と向き合えた気がしました。慣れていないことだからそう感じただけだと思うので、慣れた食事にもその姿勢を持ち込みたいと思いました。
まとめ
すでに完結しているアニメだと複雑なことを考えすぎずに見れて楽しいです。方向性を探っていくのは好きですか、今はそういう時期ではないのかもしれません。何か興味のあるものがあれば見てみてください。それでは。
アニメ『アイカツ!』最終話(178話)の大空あかりの願いについての考察
こんにちは。
このたびアイカツ同人誌即売会『芸能人はカードが命!17』にて同人誌を頒布させていただきました。コピー本ではありますが良い出来になったと思います。もし178話まで見ていない人はこの記事から立ち去ったほうがいいです。
今回は、あかりの願いといちごとのユニット「コスモス」の取っ掛かりを描くことに挑戦しました。もし購入していない方は下記のリンクから購入できますのでよろしければ。本はいいんだ結論を、という人はそのまま読んでください。
https://akatsupan.booth.pm/items/1096583akatsupan.booth.pm
大空あかりについて
このテーマを扱う上で、大空あかりに対する価値観を共有しておく必要がある。そのために大空あかりのこれまでのアイカツを振り返る。
大空あかりは、星宮いちごに憧れてスターライト学園の入学を目指し、同じことをするだけではいけないと考えて自分らしいアイカツを探し始めた。アイカツブートキャンプやスペシャルアピールの特訓などの苦しさを乗り越え、ドリーミークラウンのドレスを身にまとうことで、自分らしいステージに近づいていると感じていた。劇場版アイカツでは、いちごにとっての道しるべだった美月をあかりはいちごのために会場まで連れてきて、最終的に同じステージに立つことができた。公演後のステージでクリスタルマイクを渡され、次世代のアイカツを託された。その際のセリフが「おいで。時間かかってもいい。よじ登っておいで。わたし、てっぺんで待ってるから」である。
以降、あかりはスターライトクイーンになること志し、日々のアイカツに励んでいく。そして177話でスターライトクイーンとして輝いた。
178話の流れについて
- あかりは大空お天気に出演し、スタッフからスターライトクイーンになったことを祝われる
- いちごがあかりを迎えに来て、なんでも弁当でいちごからのり弁をごちそうされる
- あかりからいちごに一緒にライブしてほしいとお願いする
- あかりといちごのライブではなく、ルミナスとソレイユのライブになる
- ライブ後、いちごを捕まえたらプレゼントをあげると言われておにごっこが始まる
- ゴールと思われる崖の上にあかりが先にたどり着き、いちごに手を貸す形でゴールする
- ふたりで景色を見つめ、あかりのお願いがぼかされる形でエンディングに入る
- エンディング後、あかりといちごがユニットとしてステージに立つ
以上が178話の流れになる。個人的に重要だと思ったポイントについて考察する。
あかりからいちごに一緒にライブしてほしいとお願いする/あかりといちごのライブではなく、ルミナスとソレイユのライブになる
1つ目のポイントは、あかりがお願いしたことが「いちごとふたりでライブをしたい」だったかどうかである。ライブのお願いをするあかりの表情が真剣であり、雰囲気は非常に硬いものとなっている。
結果として、あかりといちごのライブではなかったが、あかりの表情は非常に明るい。このことから、あかりのお願いはいちごとふたりだけでライブをしたいというものはなかったことが推測できる。ただあかりがいちご以外に気を使ったいる場合も考えられるが、あかりは自分もそれ以外の人も楽しいことが好きな人間であるためその可能性はないと言える。
ライブ後、いちごを捕まえたらプレゼントをあげると言われておにごっこが始まる
2つ目のポイントは、あかりがいちごのプレゼントをもらうために追いかけたのかという点である。あかりとしてはプレゼントが用意されていると思っている。ただそのためにあかりがいちごを追いかけたのかと言われるとそうではないと思う。あかりにとっていちごとふたりだけの時間を共有することは、特別な時間であり特別な理由など必要ない。そして走る途中の美月の言葉でこの言葉の意味を考え直している(参考記事: 真夜中と日差しの夢 ~『アイカツ!』神崎美月の5年3ヵ月~ - あにめマブタ)。
ゴールと思われる崖の上にあかりが先にたどり着き、いちごに手を貸す形でゴールする
3つ目のポイントは、あかりが先にゴールしたことではなく、あかりといちごがふたりでこの瞬間を共有したことである。いちごの「あかりちゃんと、この景色見るの初めてだね」は、いちごとあかりが崖をよじ登った結果として見えた景色であり、劇場版でかわされた言葉のひとつのゴール地点と言える。
ふたりで景色を見つめ、あかりのお願いがぼかされる形でエンディングに入る
4つ目のポイントは、プレゼントを決めていないといちごが言ったあとの、あかりが考えている時間とその表情である。
1つ目のポイントで触れたが、あかりがいちごにライブをお願いしているときの表情は非常に真剣である。つまりライブをすること以上のお願いではないと考えられる。そして本論であるユニットの結成をお願いしていると考えることもできない。
またあかりがお願いを考えている時間は約5秒であり瞬間的に答えが出ていないところを見ると、あかりにはどうしても叶えたいお願いはなかったと捉えることができる。つまり先輩とライブがしたいというお願いは既にかなっていると推測できる。
ユニット結成があかりのお願いではなくいちごの提案である可能性について
この作品の感覚として、ユニットとは非常に特別なものである。それはこの作品を通して描かれてきた世界観とも言える。4つ目のポイントで考察したとおり、あかりからユニットのお願いをするとは考えにくい。つまりあかりのお願いをいちごが解釈した結果、ユニットが結成されたと考えるのが自然である。言い換えれば、あかりのお願いを叶える方法の1つがユニットの結成であった言える。
ではあかりのお願いはなんだったのだろうか。キャラクター的な視点と演出的な視点の2つから考える。
キャラクター的な視点
あかりといちごにとって、ふたりが同じ立ち位置から物事を見ていることはほとんどなかった。同じステージに経ったことは何度かあるが、あかりといちごの実力差が大きく離れたステージばかりである。しかし、あかりといちごが崖の上からみた眺めは、アイドルとしてのポジションも背の高さもほぼ変わらない。初めて対等に近い存在として並んでいる。あかりにとってはこの時間こそが大切で、2人で見たこの景色こそがプレゼントなのであると思った。したがってあかりのお願いは「同じ景色をもっと見たい」ではないかと考えられる。ただいちごからしてみるとあかりのお願いは抽象的でどうしていいかわからない。だからこそ、同じ立ち位置から景色を見ることができるユニットを提案したのではないかと思った。あかりのお願いを叶える具体的な方法としてユニットを提示したのである。
演出的な視点
こちらの考えはキャラクターに則ったものではないため補足的な資料として扱う。以下の2枚の画像は、ふたりが崖から景色を見ているシーンとユニットとしてステージに立っているシーンである。
この2枚の構図は明らかに似せて作られている。もしふたりがユニットを組んだことを強調するのであれば、最後のシーンは正面から取るのが自然であるように思う。しかしながら最後のシーンは背後から撮られており、ステージに立つふたりとそれを見る観客という構図になっている。したがってこのシーンはユニットを組んだゴールが示されているのではないかと思う。
ただあくまでも演出的な視点、つまり制作の意図でありキャラクターの心情と直結するわけではないということは述べさせていただきたい。
結論
あかりのお願いは「同じ景色をこれからも見たい」であり、その解決策としていちごが「ユニットを提案した」というのが私の解釈である。
最後に
こんな長い解釈を読んでいただきありがとうございます。もちろん正解はわからないですが、自分の疑問としてあった「どうしてコスモスが結成されたのか」について満足のいく思考ができました。読んだ方にとって納得のいくものであったり何かのヒントになればと思い、この記事として書かせていただきました。
この解釈を11ページに詰め込んだ同人誌ですので、よろしければお手にとっていただけるとありがたいです。それではまた別の記事でお会いしましょう。
https://akatsupan.booth.pm/items/1096583akatsupan.booth.pm
映画『若おかみは小学生』感想―――立場の前提にある誠意、その上にある理性と感情
こんにちは。
ちまたで話題になっている『若おかみは小学生』を見てきました。おっこへの感情移入というよりは、立場についての気づきについて書いていこうと思います。
立場について
ラストシーンにおいて、おっこはの立場は「両親を事故でなくした娘」と「春の屋旅館の若女将」である。このふたつは独立しているものではなく、ふたつ合わせておっこである。同様に春の屋に泊まりに来たお父さんも「客」と「親」と「事故を起こしたドライバー」としての立場がある。
序盤は「客」としての立場で接しており、おっこは「若女将」の立場で接している。そこからお父さんは「事故を起こしたドライバー」として接し始める。これはおっこへの謝罪であり、罪滅ぼしでもある。あえて出会う必要もなかったおっこに「客」として接し、おっこの頑張りを見て「事故を起こしたドライバー」として接した。だからおっこは「両親をなくした娘」としての立場を引き出され、感情を抑えることができなくなってしまった。しかし最後には、おっこは「若女将」として理性的にお父さんに接している。だからこそお父さんは「親」と「客」として接することを選択できた。
間違いなくおっこは被害者である。だからおっこが「若女将」としての立場を選択することは、お父さんにとってはすでに消失した「客」としての選択肢を与えたことになったし、互いにとって距離をおける立場にシフトしたともいえる。お父さんの中から罪の意識が消えることはないし、おっこの中から両親を奪われた痛みが消えることはない。互いにとって消えない傷を抱えることを選び、自分の傷で相手の傷を深めることを選ばなかった。おっこの理性と感情が選ばせなかった。
気づき
私たちも生きている中で様々な立場で生活することを余儀なくされる。様々な立場で生きる中で、様々な感情を背負わされる。そして感情がむき出しになることもあるし、それを無理やり抑えて理性で動く時もある。しかし必ず自分の誠意があるから相手も誠意で接するのだと思う。この映画には間違いなく互いの誠意があった。だから自分も同じように誠実に対応していこうと思う。もし相手が不誠実な対応を取り続けるなら、それは人間ではない。ただその不誠実が自分の不誠実かを感情を沈めて理性で判断していかなければならない。
様々な立場で誠意をもって、自分の行動を理性と感情で制御していこう。そしてそのまま死んでいこう。
映画『カメラを止めるな!』感想―――劇場の笑いと演者のラストの表情
こんにちは。
最近話題になっている映画『カメラを止めるな!』を見てきました。どういった映画なのかの前情報は一切知らず、ただなんとなく「カメラを止めるな」という言葉に惹かれて見に行きました。上映中はよくできていておもしろいと感じた一方で、上映後はモヤモヤとした感情に支配されました。
本作で起こる笑い
序盤のゾンビ映像に惹かれるものはなかった。意味がわからない部分を挙げればきりがない。もちろんカメラが切れないという点においては素晴らしい挑戦であったように思う。この映像には一切の笑いも起こらず感情を殺された時間だった。
次にこの映像が出来上がった過程を見せられ、数々のトラブルとその対応に笑いが起こっていた。真剣に映像を作ろうとしている人たちに、通常ではありえない人的な被害が起こる。その被害の内容がおもしろいだけでなく、それがワンカット映像という不自由なシチュエーションにはまっていることがおもしろい。映画というカットにカットを重ねて作った作品にもかかわらず、本来持ち合わせていない一回性をもつことがこの作品のおもしろさの真髄であろう。基本的に本編映像では入ることのない「カット」という声が、これほどまでに作品の締めくくりにふさわしい作品も珍しかった。
それにしてもこの笑いは一体なんだろうか。映画が終わってからそのことばかり考えさせられた。奇々怪界だった映画のピースがはまっていく感覚が納得につながっていたところが大部分を占めていたがとは思う。ただそれだけではなく、絶対に失敗できないシチュエーションでありえないような場面に直面しつつも、そのがむしゃらな対応を画面越しに笑ってたのかもしれない。この感情を自分で整理しきれなかった。
誰が作品を評価するのか
先程述べたように、序盤のゾンビ映像はおもしろいと思えなかった。おそらく何度あの映像を見ても同じように思うだろう。つまりあの映像単品を、私はいまいちな作品だと評価している。それはあの映像作品に参加しなかったテレビ局のおばちゃんも同じであろう。
そしてそれは参加していた人たちも感じていたことだと思う。主演男優はところどころ文句を言っているし、主演女優はやりたくないことは事務所のせいにして一切やらない。そして数々のハプニングである。それでも最後までやりきったあとの制作の顔には、なんとも言えないような満足気な顔をしていた。もちろん彼らもあの映画が良い出来になったとは思っていないであろう。それでもあの瞬間にできる全てを詰め込み、無事に30分撮りきれたことになんとも言えない満足感があったのだと思う。あらゆる創作には評価がつきまとう。ある人には良いと思えるものでも、別の人には良いと思えない。全ての創作はそういうものである。しかし最も大切なのは、作った自分たちがどう思うかだと思う。他者の評価に振り回されるのではなく、作った自分たちが良いところも悪いところも認められるかである。映画を撮り終えたあの瞬間を、彼らがどう感じたのかが大切なのである。同じ瞬間に同じ目的のために奮闘したことが、ラストの表情につながっていった。
真剣が真剣な笑いをつくる
本作の1番の見所は、エンドロール中の制作の映像であると思う。この作品はメタ視点な映画であるがゆえに、それを強調するように撮影のシーンを入れているように感じた。当たり前のことだが、本作は劇中作を撮っている描写を撮ることが必要になる。つまりワンカットのあの映像を作るために2度同じ構図で演技をしていることになる。そして劇中でカメラマンが転んだように同じように転び、首を切られたマイク担当を配置したように同じように死体を配置するのである。そうやってあの映画がつくられている。カメラに写っている部分だけが映像ではないのだと、実際の撮影現場を見せることで気付かされた。
まとめ
本作についていろいろと思うところはありましたが、素晴らしい内容だったと思います。伏線の張り方も良かったですが、それ以上に回収の仕方が良かったです。
それにしても映画館で巻き起こっていた笑いの正体が気になってしょうがないです。
アニメ『東のエデン』感想―――あがりを決め込んだおっさん、あがれないと悟ったニート
2009年に放送されたアニメ『東のエデン』を久しぶりに視聴しました。当時視聴していたときはまだ高校生でしたし、Blu-ray BOXが発売されて再視聴したときは大学生でした。あれから時間も経ち、今回労働する立場になって改めて見直しました。
東のエデン
『東のエデン』とは、2009年にノイタミナで放送された11話構成のオリジナルアニメで同年の2009年秋と翌年の2010年春に劇場版が作成され完結した。まだスマートフォンが普及していない情報社会になる直前の世界観で描かれている。
本編は100億円を自由に使える立場になった滝沢朗が、記憶を失ったのちに周囲の人間を巻き込みながら日本を救おうとする物語である。
滝沢明が目指した世界
滝沢はおっさんとニートという対立構造を見出しており、ニートが活躍できる世界が日本を救うと考えていた。日本は年功序列が続く国であるため、年をとると一般的には生活の質が向上する。一方、若者は物価と比べると低所得であり、現在の福利厚生を支えるために酷使されることになる。その構造を破壊し平等な国を作ることが滝沢が目指した世界であったように見える。しかし、劇場版ラストの大人の反応を見てわかるようにこの狙いは成功しない。滝沢が行ったのは動画を見ている人間に対して1円を振り込むことであり、影響力を示すことはできても変化を促すことにはつながらなかった。
しかしニートたちはシネコンの跡地を活用して自分たちの生活を営み始めた。これまでは搾取されるだけで立場としても弱かったが、滝沢の一件を機に自分たちの居場所を確立したのである。滝沢が実行したのはおっさんを下に落とすのではなく、ニートを上に持ち上げることだったのかもしれない。
ニートの可能性
本作では、平沢を筆頭に板津といった優秀なニートが複数人登場する。彼らはこれまでの組織に属することなく、自分たちで世の中に価値を提供しようとしている。東のエデンはその集大成であり、本作の根幹となっている。最適な方法をとって行動するジュイスまでもが、滝沢の過去の画像を書き換えるために使用している。それほどのものをニートという集団は作ることができるという可能性の提示でもあった。そしてニートとは、明確な意思を持って働かないことを選択しているように見える。社会に対して疑問を持っているものもいれば、自分の価値は働くことではないと考えているものもいる。
劇場版ラストの携帯電話
本作で気に入っているシーンはいくつもあるが、劇場版ラストに滝沢から咲にセレソン携帯を渡して別れるシーンは『東のエデン』の終わりを象徴している。
テレビ版のラストで滝沢は記憶をなくし、滝沢のセレソン携帯を持った咲がニューヨークで再び滝沢と再会するため、実は前回と同じ形式になっている。しかし滝沢はそのことを覚えていないため、前回のことを狙って意図的に携帯を渡したのではない。したがってこのメッセージは滝沢から発されたものではない。一方で咲はこのメッセージを受け取れている。このすれ違いこそが滝沢と咲の関係性であり、このふたりが再び出会うことを予見しているように思えた。
またセレソン携帯を失ったということは、滝沢が普通の人間に戻ったことを示す。にもかかわらず彼がやろうとしていることには変化がない。作中で咲が「滝沢君は力を持っていなくても同じことをしたと思う」という言葉を再び思い出させるようであった。滝沢という人間と咲との関係性が色濃く出たシーンであった。
あがりを決め込んだおっさん、あがれないと悟ったニート
経済成長の波に乗り日本の成長と自身の生活が向上していった50代に対して、20代は日本の成長は一切感じられず上の世代に有利なルールの上で使役されているような感覚を持っている。この感覚は僕だけのものではなく、世代的なものであると思われる。そして上の世代が作ってきた価値観に疑問をいだきながらも、上の世代が作ってきた社会の中で生きようとしている。しかしながら20台は50代とは異なる価値観で生きている。何もないものを作り出すために人生を費やしてきた50代。生まれてから物が溢れていた20代。この2つの世代が見てきた世界は大きく異なっている。
あなたが生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」。だから、あなたの世代のことを「乾けない世代」と呼ぶことができます。
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)
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この言葉が示すように、体験してきたことが違う以上、社会に求めるものも大きく異なる。
咲がされた嫌がらせは、会社に適合しない人間には何をしても良いという組織感の現れである。咲がエデンを選んだのは、そのような組織に対して疑問をいだいているからであり、自分の活躍の場はその組織だけではないということを知っていたからである。これまでの咲の経験が、咲の選択肢を増やしているのである。インドから帰ってきたニートたちも同じである。彼らはインドでの労働を通して、社会に貢献することの喜びを知った。そうでなければフリマなど開かず、親の元で同じ生活に戻ったであろう。ただここでいう社会とは、日本や会社ではなく個人の周辺でしかない。自分の周囲の人に対して自分の価値を発揮できれば十分なのである。
一方で彼らの行動を見ても稼げるとは思えない。おそらく大きな企業に入った方がたくさんのお金をもらうことができる。ただニートたちが選んだのは、生きやすさであったり楽しさである。会社という組織に身を置きただ働くのではなく、自分のやりたいことをやりたいようにやっているように見えた。そして20代と50代では、求めているもの違いと同様にあがりに対する考え方が違う。50代にとってあがりとは、年金をも受け取る金額まで働くことである。対して20代は年金をもらうことすらできるか怪しいため、あがりとは病気にならない働き方をして、永く健康に死んでいくとではないか。20代には50代のあがり方を目指すことは現実的に難しい。だからこそ無理をしない自分が楽しめる働き方を作中の彼らはしているのではないか。楽しく働く今を続けていくことこそが、彼らの、そして我々の目指すあがりなのかもしれない。
最後に
本当に久しぶりに見ましたが、2009年という時代に出てきたとは思えないほど、現在の価値観を掘り下げた内容になっておりました。今見ると本当に雰囲気の違う作品だと思います。時間があるときにじっくり見て、自分の考え方と照らし合わせて見てほしいです。
それでは。
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映画『プラダを着た悪魔』感想―――人は簡単に目的を見失う
こんにちは。
映画『プラダを着た悪魔』を見ました。出張の飛行機の中で見た『マイ・インターン』に出演していたアン・ハサウェイが好きになり、名前をよく聞いていた本作を見ました。かなり刺激を受ける内容でしたので感想を残したいと思います。
感想
本作は服を通して、人間が変化していく中での葛藤と生涯を描いている。最初はファッション誌を飾る派手な服をバカにしていたが、服を着て知っていくことで生活そのものが変化していった。その結果、これまで自分が所属していたコミュニティとの乖離が起こり始め、同棲していた恋人とも別れてしまう。
本作で面白いと感じたのは、ファッション、コミュニティ、仕事の3つである。
ファッション
主人公は最初、服のことをどれも一緒だとバカにしている。しかし服を着るうちにその違いを理解し、ファッションが彼女の中心になっていく。
ファッションは人間のアイデンティティを象徴するものであり、初対面の相手を判断する最初の基準となる。そのことを肌では理解しながらも重要だと考えていなかった主人公は、外見を変えることで仕事の質も変化していった。本作のタイトル『プラダを着た悪魔』の悪魔と称されるのは、ミランダではなくプラダというブランドが人間を悪魔にしてしまった部分である。着る服によって外見から与える印象は変わり、その人に対する印象も変化する。人の印象を変えてしまうファッションこそが悪魔なのである。
もちろんファッションは人を悪魔にも天使にもする。一般的な服を着ればその人は普通に人になるし、きちっとした服を着れば真面目な人になる。アンドレアが最後に地味な服に戻ったのは、そういう性格になりそういう仕事につくためであった。ファッションには様々な種類があり、金額も様々である。なりたいものに形から入ることで、その瞬間からなりたいものになれるのかもしれない。そしてもしなりたくないものになっているなら、その時着ている服を脱ぎ捨てればいい。
コミュニティ
主人公はファッション誌で働くことになると一気に多忙になったことに加え、ファッション性が変わったことで外部に与える印象も変わった。人は自分が快適だと思うコミュニティに所属するし、快適だと感じる理由は自分の行動に近いからである。つまり自分が少しでも変化すると、そのコミュニティにいることは難しくなる。相手から見える印象も自分が見る相手の印象も変わるからである。それが顕著に現れており、どんどん自分の精神を苦しめていく。自分が変わっていくとき(変わろうとするとき)に、コミュニティを抜ける覚悟を早めにするべきなのかもしれない。それが遅ければ遅いほど、相手とのギャップに苦しむことになる。
仕事
本作で一番気に入っているのは、自分の意志で勝手に退職したアンドレアがミランダから仕事の推薦を受けるところである。基本的に仕事の関係は、自分から離れた瞬間に関係がないものになる。だからミランダがアンドレアを推薦する必要もない。しかしミランダはアンドレアを推薦した。これは彼女たちが結果を重視した関係性にあったからであり、そして人間性の部分で信頼しあっていたからである。
アンドレアはミランダのプライベートを垣間見てしまったことで、自分と近い人間であることを感じていた。そしてミランダもアンドレアが自分と同じように悩んでいることを知っていた。だから車の中でミランダはアンドレアに「アンドレアは自分に似ている」と伝えたのだ。結果の中に信頼があったから、ミランダはアンドレアを推薦してくれたのだろう。
人は簡単に目的を見失う
そして本作は、いつの間にか自分の目的を見失っていく人間について言及していたように思う。アンドレアが最初に目指した姿は、文芸誌で働きながら今の彼氏と一緒にいることである。彼女はファッションについて興味などなかったにもかかわらず、ファッションの仕事に没頭しプライベートがぐちゃぐちになっていった。それは本来の目的からは外れた行為であるにもかかわらず、ミランダから似ていると言われるまでその時の自分を捨てることが出来なかった。自分がなりたい姿がミランダではないとわかるその瞬間まで、彼女は最初に考えていたなりたいものを見失っていたのである。
これは現代の私達の生活でも起こっている。最初にやりたいと思っていたことが出来なくても、耐える時期だと思って耐え続ける。しかし耐えた先に自分が求めていたものがあるかはわかっていない。耐えることはもちろん大切だが、耐え続けた先のビジョンを持ち続けなければならない。耐えた結果が、自分にとって辛い結末にならないかを考え続ける必要がある。やりたいことのために耐える大切さを教えてくれていたように思う。
まとめ
本作は生き方について考えさせてくれる一作でした。自分が後悔しないように、常に考え続けて生きていきます。
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アニメ『宇宙よりも遠い場所』―――報瀬の意志の強さと持続力
こんにちは。
2018年冬クールを騒がせていた『宇宙よりも遠い場所』を見終えました。本編について語りたいところはいろいろありますが、感想については多くの方が述べているので今回は割愛します。割愛すると言いながら自分の思うことを色々書いてあるので割愛できていないかもしれません。
この記事では本編のシナリオではなく4人の中で最初に南極に行くことを決めた小淵沢報瀬の思考にフォーカスを当てます。
小淵沢報瀬について
報瀬は中学生のときに母を亡くし、その母がなくなった地である南極に行くことを決意する。
報瀬の目的と目標を整理すると以下のものになる。
- 目的:母を亡くしてから止まった自分の時間を動かす
- 目標:母が亡くなった南極という地に行く
報瀬にとって、南極に行くことが目的を達成するための大前提となっている。そのため報瀬は南極に行くことに固執するのである。
報瀬はなぜ南極に行けたのか
それは報瀬が南極に行くことを決め、その熱を持ち続けたからである。アニメの描写としても熱を表す場面がいくつか描かれているが、最も顕著な描写として2点を強調したい。
- 100万円を数えたこと
- メールを送り続けたこと
100万円を数えた描写
【12話:宇宙よりも遠い場所】で、報瀬は内陸部の探索に行くことを非常に悩んでいた。そして今までの自分の行動を振り返るためにこれまでしてきた100万円をどうやって稼いだかを振り返っている。
この描写で重要なのは、「お金をどうやって稼いだかを覚えていること」である。それは彼女の中に貯める目的が明確にあり、そのためだけの100万円を貯めるために働いてきた。だからこそ何をしてきたかが記憶に残っている。日常の中でお金を貯めると、何をしたかよりもいくら稼いだかを意識することが多いと感じている。自分が何を頑張ったかを覚えている、つまり糧にしてきたものが何かおぼえている。自分が今いる場所に至るまでの軌跡が、彼女の意志の強さを支えている。
メールを送り続けた描写
全話を通して、報瀬は母にメールを送り続けている。そのメールが母に届くことはないが、母へ気持ちを伝えようと送り続けている。おそらくキマリたちに出会うまでそのメールは、非常に辛いものに溢れていただろう。だからこそ南極に行くことを決めた自分を支えるために、その気持ちを維持するためにメールを送り続けていた。
【12話:宇宙よりも遠い場所】では、自分がこれまで送り続けていたメールが受信されたタイミングで、これまで止まっていた報瀬の時間が動き出した。報瀬にとってこれまで送ったメールは、自分が重ねてきた数多くの困難とそれを乗り越えてきた証なのである。そしてあのメールを唯一受け取れる母親が受け取れていない現状こそ、母が亡くなったという事実なのである。
報瀬の凄さ
彼女の凄さは、自分が迎える未来を決めたことである。人は向かうべき場所がないと頑張れない。場所には、レールに乗って行ける場所と行けない場所がある。南極は行けない場所である。だからこそ行くことを決める必要があった。
目的地を決めた人間を、無意識のうちに嫉妬してしまう。自分にできないことをやろうとする人間とさせないようにする人間。その環境の中で南極と向き合い続けたからこそ彼女は凄いのだ。彼女の意地の頑張りがなければ、4人のうちだれも南極にたどり着けなかった。だから他のメンバーは彼女に対して「南極に連れてきてくれてありがとう」と言葉を伝えるのであろう。
まとめ
人は新しい一歩を踏み出そうとすると、必ず周りになにかを言われます。それが賞賛なのか罵声なのかはわかりません。でも自分がやりたいと思ったことが何かを見つめ直し意思を固めて進むことは、今まで見えなかった新しい世界を見せてくれると思います。自分が見たかったものなのかそうではないのかは、その時が来てみないとわかりません。だからこそ、一歩を踏み出すか踏み出さないかは自分で決めないといけません。自分の選択に自分で責任を持つことが、自分の人生を変えることなのかもしれません。
僕にとって『宇宙よりも遠い場所』は、意思決定と自己責任による無限の可能性でした。
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『未来の働き方を考えよう』と『下流老人』を読んで
こんにちは。
先日ビジネス書の読書会に参加し、その際におすすめされた本の中から今回は2冊読みました。『未来の働き方を考えよう(ちきりん)』と『下流老人(藤田孝典)』です。
未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる (文春文庫)
- 作者: ちきりん
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- 作者: 藤田孝典
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未来の働き方を考えよう
本書で述べられているのは、これからは働くことの意味が変わるというものである。これまでは仕事が最優先だったが、これからは仕事だけでなくプライベートや家族などすべてを並行して大切にするというものである。その考えた方は非常に理解できるものであり、自分自身がそうであると感じている。集中して働く期間と、長期間休む期間をバランスよくとれるような生活が良いと感じている。
本書を読むまで意識していなかったのは、自分の年齢と働き方の関係についてである。私は現在20代なかばであり、多少仕事の時間が長くなったとしても体力的な問題はない。ただこれが30代後半や40代になると全く変わってくるのであろう。そのタイミングで今と同じ仕事、今と同じ働き方ができるかと言われると難しい。だからその働き方を見直す年齢として、本書では40代が適しているとしていた。自分自身がどうなるかはわからないが、ひとつの指標として意識しておこうと思う。
もうひとつ、年金制度についても書かれていた。当たり前な話ではあるが、高齢者が若い人たちと同様に働けるわけがなく、その人達を支える仕組みが必要である。それは若い世代が数十年後に体験することである。だからその仕組みによって絞られているお金が、将来自分にも同様に返ってくると信じたい。返ってこないとは思っているが…。
本書を読んで改めて思ったのは、結婚をするのも子供をつくるのもつくらないのも選択であり、どのような人生を歩んでも良いと思うことだ。
下流老人
本書で定義している下流老人とは、生活保護基準で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者である。私が想像していた以上に、高齢者が下流老人となる可能性は非常に高い。ちきりんさんの本にも書かれていたが、高齢者が労働によって若い世代と同等の給与を得るのは非常に難しい。そのための高齢者が生きていくための社会保障制度が年金制度である。そしてその年金だけでは足りないから、これまでの貯蓄を切り崩して生きていくことになる。ただその貯蓄も病気になった際は医療費として一瞬でなくなってしまう。そして運が悪く病気になってしまえば、もう下流老人になるということである。もちろん保険などをうまく活用すればそうならないかもしれないが。
そして年金で足りない人は生活保護を受給して生活している。ただ生活保護は自堕落の象徴として認識されていると感じており、受給の精神的なハードルが高く受給できない人が多いとのことらしい。インターネット上での風当たりは非常に強いが、受給できるのであれば自分の生活を楽にするために受給するべきだと思う。いざ自分が体験してみないと、受給のハードルの高さは理解できないのだろう。高額医療費制度や無料病院などもあるため、それらの制度を知っておくことが重要である。
この2冊を読んで
この2冊を同じタイミングで読めたことは非常に良かった。未来の働き方を考えようでは、今の働き方が自分の幸せになっているかを考える切っ掛けになった。一方下流老人では、日本の悲惨な現状と将来の自分を照らし合わせることができた。大企業に入ることは給料と貯蓄の安定につながると思うが、自分にあった働き方ができないかもしれない。しかし給料が安定しないと高齢者になったときに下流化する可能性が高くなる。
だからこそ、今のうちから自由に働きつつ、給与について意識していくべきであると思った。年齢が上がったら給料も上がる仕組みはこのままだと破綻するため、自分で給料を上げていく工夫が必要となる。それが転職なのか企業なのか副業なのかはわからないが、必要だと感じたスキルや自分に利のあるコネクションを作っていくべきだと思う。ただそのような生活の中でも、趣味など自分のやりたいことに時間を注いで楽しく生きて生きたい。