徒然もの書きぱん

適当にアニメとかについて書いてます。今期は何について書きましょうか。

評論系同人誌への寄稿と学び――編集で世界が変わる。

 こんにちは。

 9月に『君の名は。』を見て、その衝撃を部分的にでも言葉に残しておきたいと思い、『アニメクリティークvol.5.5 「新海誠/君の名は。特集号」』に寄稿させていただきました。正直一筋縄ではいかない部分が多く、かなり苦労しながら文章を書きました。こういう機会ですので、アニクリさんの紹介と今回の寄稿で得た学びを残しておきたいと思います。

アニメクリティーク

 アニメクリティークとはNag.さんが編入を務めるアニメ評論系の同人誌である。今回は、各々が感じた『君の名は。』もしくは「新海誠」について書く特集号となっている。詳しい内容に関しては下のリンクを参照。
nag-nay.hatenablog.com
 寄稿している方々はもちろんだが、Nag.さんの編集がすごかった。今まで編集という仕事が、どういう役割でどういう仕事なのかを理解していなかった自分にとって衝撃的であった。ぜひぜひ手にとって、(僕の以外のを)楽しんでもらいたい。

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寄稿によって得た学び

 続いて寄稿をきっかけに感じたことを書く。僕は今回初めて文章を寄稿したこともあり、普段考えないようなことを気にかけることも多かった。そのあたりについて記載していく。

締め切りはしんどい

 最初に言っておくと、僕は100点を取ろうとするよりも、合格点よりも少し上を取ろうとするタイプだ。だから、求められたものをそれなりの質で出すことには割と慣れている。その一方で、寄稿はできる限り100点を取ろうとする作業である。そのため、これまでのスタイルとは全く異なる姿勢で臨む必要があった。つまり自分で書きたいものを時間内に具体化し、より詳細に詰めていく必要があったのである。しかしそのスタイルは、最後まで体に馴染まなかった。
 結果、締め切りを少し遅らせてもうことになったし、そこまで質が高くない中途半端なものになってしまった。そして暫定版という形で送ることになってしまった。締め切りはモチベーション管理ができないと本当にしんどい。

編集者とは翻訳者

 先ほど編集がどういう仕事かわからないということを書いたが、編集とは「書き手と読み手の間に入る翻訳者」であると感じた。僕が書いた文章というのは、当然のことながら誤字脱字や曖昧な表記、納得できない記述が含まれている。もし仮にその文章を掲載した場合、読み手はモヤモヤするに違いない。そうなってしまっては、書き手も読み手も幸せにならない。そうならないように、書き手の表現を誤解を生まない表現に変換する。それが編集者の役割である。
 そしてもっとも編集者としての腕が光るのが、誤訳を生む文章の抽出であると感じている。もちろん誤字脱字がひどい文章は人の読む気力をなくしていく。だがそれ以上に、勘違いを生まないようにしなければ、文章のメッセージが伝わらなくなってしまう。それでは文章が存在する意味もないし、読む必要もなくなってしまう。勘違いを生む文章は、もう誰のためにもならない。
 では勘違いを生まないようにするには、一体どうすればよいのだろう。表現をより具体的にすれば解消できるのだろうか?実際はそうではないと思う。表現を具体的にすることで生まれる誤解もあるし、抽象的にすることで生まれる誤解もある。つまりどんな文章を書いても誤解は生まれる。だから、誤解されると困る部分だけを詳細に詰めていくのである。
 全てを説明する文章は、読み手に新しい解釈を生まないつまらないものになってしまう。だからこそ、重要な部分を抽出し誤訳しないように詳細に詰めていく。それが編集者の役割であり、書き手の文章を読み手に大まかに齟齬なく伝える翻訳者なのである。

編集による自分らしさの喪失

 編集することによって文章が確実に良くなっていく。ここでいう良くなっていくとは、誰が読んでもわかるようになっていくことである。しかしその一方で、文章から感じる自分らしさが失われていくのである。普段自分が書いている荒削りのものが、綺麗に整えられて返ってくる。それはもう自分だけの文章ではなく、書き手と編集者の共同作業で生まれた全く別の新しい文章なのである。
 文章における自分らしさを、うまく言葉にすることはできない。しかし自分だけの文章は、自分の中だけで完結しなければ生まれないのである。初めて文章を編集されて理解し、改めて自分の文章の型のようなものを見つけた気がした。もちろんそれが悪いということではない。けれどもし、次があるのであれば、自分らしさをもっと残したものが書きたいと思う。

寄稿はアウェイでの戦い

 僕は去年の冬にブログを始めて、今まで長文を寄稿したことは一度もない。長い文章を書くのはブログの中だけで、そのブログはTwitterやいつも読者として読みに来てくれる人たちが多い。つまり、いつもホームなのだ。しかし寄稿は違う。僕のことを全く知らない人が、僕の文章を読むこともある。そして何かしらの感想を持つだろう。好意的な感想なのか、否定的な感想なのかはわからない。
 それは自分の文章が普段とは違う、新しい場に出ていくことである。それはとてもワクワクすることだし、同時に怖いことでもある。自分が書いた文章が多くの人に読まれ、少しでも胸打つものになりますように。

最後に

 今回、寄稿のお願いを快く引き受けてくださったNag.さんには、とてもとても感謝しています。本当に僕の稚拙な文章を、素敵なものにしてくれてありがとうございました。もしも書けそうなものがありましたらご連絡します(_ _)
 そしてみなさんにも、ぜひぜひお手にとって読んでもらえればと思います。もっとできたと思う部分もありますが、これが今の僕の限界だと思います。他の人のものも含めて、『君の名は。』をもう一歩踏み込んで楽しんでもらえればと思います。それでは。